戦後80年を迎えるにあたって

平和を実現する者 

 

8月、私たちは80年前に日本の敗戦をもって終わった戦争を思い起こし、心から平和を祈り求めます。

主イエスは「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と教えてくださいました。ここでイエスは、「平和というものは、意志をもって実現していくものだ」ということを示しています。

非暴力によって黒人差別と戦ったマルチン・ルーサー・キング牧師は「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の影に隠れた同罪者である」と語りました。平和を願う者たちが沈黙したならば、それは、平和を壊すことにつながるでしょう。

ナチスに抵抗したドイツの牧師マルティン・ニーメラーは、「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者でなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者でなかったから。労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。そして、私を(キリスト者)を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰1人残っていなかった」という言葉で無関心への警鐘を鳴らしました。

先の参議院選挙で、外国籍の方々への事実に基づかない攻撃の言葉が公然と語られました。その攻撃の言葉は、いつ「私」に向いてくるかもしれないのに、そんなことは起こらないと思い込んでいる無関心な「私」が、沈黙によって差別に加担し、平和を脅かしているということを、二人の牧師の言葉を通して想像してみたいのです。

 

戦後80年を迎えるにあたって、日本バプテスト連盟理事会は祈りの言葉を紡ぎました。

私たちの「祈り」は、神に願うこと、「祈念する」ことと共に、神の御心を求め、それに応えていくという行為でもあります。

平和を願って祈り、神の御心を求め、平和を実現する人々の一人となっていく、その意志を確認しつつ、関心をもって、沈黙せずに歩んでいく私たちでありたいと願うのです。

 

2025年8月

常務理事 中田義直

 

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